大道寺将司、片岡利明に対しては死刑、黒川芳正に無期懲役が確定。1982年7月、逃亡していた宇賀神寿一が逮捕され、懲役18年が確定した。
1995年3月24日に浴田由紀子がルーマニア潜伏中に身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕、裁判で懲役20年の判決が確定。
2009年現在、佐々木規夫と大道寺あや子は国際指名手配されている。桐島聡はさそり事件での公訴時効が成立。獄中にあるメンバーは、現在までに、再審請求を出したり、獄中から著書や論文を発表するなどして獄中闘争を行っている。
連続企業爆破事件の犯人グループと直接の関係はないとされるが、1975年から1976年にかけて北海道を舞台に起きた一連の爆弾テロ事件(1975年7月19日の北海道警察本部爆破事件、1976年3月2日の北海道庁爆破事件など)にも「東アジア反日武装戦線」名義の犯行声明が出された。北海道庁爆破事件の被疑者として起訴された大森勝久(本人は犯行声明の思想に共感した上で犯行については無実を主張)には1983年に札幌地裁で一審死刑判決、1994年に死刑が確定している(再審請求も2007年に却下)。
また加藤三郎など反日イデオロギーの持ち主が起こしたと見られる反日爆弾テロが、1970年代後半に相次いだ。
内ゲバ的体質の否定
元々クラスの仲間だったという関係からか、連合赤軍を始め、新左翼に特徴的だった凄惨な死の粛清はなかった。家庭の都合や精神的に闘争に耐えられない者には、離脱を認めていた。
公然・非公然部門の未分離
昼間は普通の会社員や喫茶店店員として働き、夜間に活動するという方針を採った。自宅アパートの床下を掘って、地下爆弾製造室を作っていたメンバーもいた。